夏の甲子園第13日の21日、
宮崎の延岡学園は準決勝第2試合に出場。
マネージャーの牧野直美さん(3年生)は、
中学時代に付き合っていた野球少年の夢を抱いて
記録員としてベンチ入りしてきた。
牧野さんは球児にとって憧れのグラウンドに立ち、
天を見上げて「甲子園に来たよ」と少年に声をかけた。
少年の名は藤井将宏さん(当時14歳)。
牧野さんと同じ中学で野球部員だった藤井さんは、
中学3年の夏、部員と川遊び中に亡くなった。
彼は生前、延岡学園で甲子園に出場する夢を
牧野さんに語っていた。
牧野さんは高校で野球部に入るつもりはなかったが、
何度か練習を見学するうちに
「彼の夢を受け継ぎたい」と思うようになった。
しかし、入部してからがつらかった。
選手の姿と藤井さんの姿をどうしても重ねてしまう。
重本浩司監督も最初は相手にしてくれなかった。
下校中に1人で自転車をこぎながら泣いた事もあった。
それでも根を上げずに、
遅い日は午後9時ごろまでひたすら雑用をこなしていた。
そんな日々の努力は、着々と監督の信頼を得ていった。
宮崎大会を制した今年の夏…
決勝を終えて戻ってきた同校グラウンドに部員が集まった。
どこからともなく
ウイニングボールが運ばれて来て、
牧野さんに手渡された。
それは重本監督が「牧野にやってくれ」と、号令をかけたから。
重本監督は「3年間、牧野が一番頑張ったから」と話してくれた。
その10日後。
藤井さんの父、保孝さんが牧野さん宅を訪ねてきた。
2人が会うのはこれが初めてだった。
保孝さんは牧野さんの顔を見て、涙が止まらなくなった。
そして「ありがとう。よく頑張ってくれた」と言って、
牧野さんと握手した。
保孝さんは、
牧野さんが「彼女として将宏君を守れなかった」と
ずっと悔いているのを知っていた。
だから、手紙を渡した。
「あなたのせいじゃない。
将宏の夢を現実にしてくれて、ありがとう」
甲子園でベンチ入りしている吉田一貴選手(3年)も
藤井さんと同じ小・中学校で、
互いの家に泊まって遊ぶ仲だった。
大会前に、吉田さんは藤井さんの墓前に線香を上げた。
当初は牧野さんに藤井さんの事を話さないよう
気を遣っていたが、
今年からは2人で「あいつのために頑張ろう」と話している。
延岡学園は今夏、初の4強入りを果たした。
牧野さんは
「第一の目標は達成できました。
次はみんなの目標『甲子園優勝』をかなえたい」
と、前を向いて歩いている。